物事を成し遂げようとする際には、固い決意と一貫性が必要であるように思う。「こうなってほしいなぁ〜」という以上に、「こうあるべきだ」という、自分自身の内的な決意と一貫性があるということは極めて大切なことである。
ブレてしまってはだめ。また、物事を成し遂げようとする際に、決意をブラすようなことをいう善意の第三者や、方針や態度を崩すようなコミュニケーションをとる相手とは一定の距離をおくことも必要であろう。
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きわめて堅固に確立された理論でさえ崩壊するときがある。その理論から導かれる予測が観察と一致ちなくなる場合がそうである。このようなときに観察される現象を科学者たちは、既存の理論では説明できない「変則事象」であると認識する。
面白いことに、これこそ真の意味で科学の進歩を促進するものなのだ。すべてがうまく行っているときにも進歩は起こりうるが、それはたかが既存の理論を新たな観察や発見にもあてはまるように改良するささやかな進歩でしかない。
重大な変化が起こるのは、これが不可能な場合なのである。
そのような場合、科学者たちは既存の理論を拡張しようするというのをやめ、より単純でより洞察に満ちた理論を探そうとする。根本的な理論の革新、すなわちパラダイム・シフトへの道が開かれるのである。
叡智の海・宇宙より
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先日、元トヨタ自動車、KDDIの役員だった、S氏のお話を伺う機会があった。「何か新しいことを始めるときは、新しいことへの賛同者と積極的に話をするべきで、新しいことがもたらす変化に対して懐疑的な人たちとは、必要以上に話をすることはない。」という話を聞くことができた。
大切なことは、賛同者同士が自発的に影響力の輪を拡げていくことであり、それが唯一正しいことだ。そうでない人たちは様々な理由をつけて、新しいことそのものを否定してくるからだ。
賛同者が増えれば、日和見主義者は賛同者になる。臨界点までは賛同者を集め続ける努力をたゆまないということなのだろう。
上述のように、既存の理論では説明できないことを新しいことを、科学の世界では「変則事象」であると認識する。
この「変則事象」が既存の理論の枠組みに入らない場合、ここから根本的な変化、パラダイムシフトが始まることになる。
日本文化は、この「変則事象」の認識が最初の段階では極めて苦手でありながらも、ある特異点をすぎると急速に広まる性質を持っているように思う。
既存の枠組みを壊しながら、新しいものを作り上げていくには、この「変則事象」の性質を認識しながら、堅い決意と一貫性を持って具現化していくことが大切なのだ。
アメリカの金融の問題、中国の民族対立の問題、日本の政治に見られる見解の不一致等、一見すれば、世の中は不安定さを増しているように思うが、実は新しい枠組みへの移行期であると捉えれば、古いものが新しいものへと移行していくひとつの通過儀礼と捉えることが妥当なのではないかと考えている。
古いものから新しいものへの移行。
古い体制に属していれば、変化は不安をもたらすものだが、執着を手放し、新しい体制に属していれば、変化は希望をもたらすものである。
もう少しの時間で、より明確に趨勢が決まってくるだろう。古い体制では社会全体の枠組みが維持できないのは自明の理なのだ。逆説的に捉えれば、既存の枠組みでは社会全体の枠組みとし機能しなから不安定感が増しているのだ。
こういった変化の状況に対して、自らの心理が作り出す不安によってぶれることなく、固い決意と一貫性を持って物事を成し遂げることに専心したいものである。
叡知の海・宇宙―物質・生命・意識の統合理論をもとめて

私、分かるかな?
トヨタカローラの斉藤です。
たまたま森くんのプログ見つけたんだけど。
元気にしてるかな?